このブログの中の人は、高機能な携帯電話を持っていなません。
いえ、携帯電話自体は持っておりまして。 とりあえずメール機能だけは付いている古い奴ですが。 しかしながら、それはもう、樹脂でできているボタン部分が やばいことになってきてるくらい古いんです。 電池の寿命が当初の半分くらいになってきてるくらい古いんです。 そこまで古いモノを何で買い換えないかというと、 新しい奴は新しすぎて、何ができるのかさっぱり解らないから。 ええ、年寄りです。 なんでも最近のケイタイは、制止画カメラどころか 動画の撮影ができるのもあるそうですな。 それも、割と高画質だったり、録画時間もそこそこあったりで、 テレビのニュースショーなんぞで「視聴者提供」の動画って物を たまに目にします。 常に携帯しているケイタイ電話であるからこそ、 日常の中に潜む決定的瞬間ってものを撮り得るってことでしょうね。 つまり、普通の人たちでも、思いもしない良い画を撮れる。 んじゃ、撮れた良い画はどうしたらいいか、というハナシになります。 仲間内で見せ合って盛り上がるのも良いでしょうし、 自分のブログにアップしちゃうのも良いでしょう。 でもそれだけじゃ「見せる範囲」が狭くはないかと。 もしかしたらそれは貴方が考えている以上に お宝ムービーなのかもしれないのですぜ。 誰か他の人にも、大々的に見てもらいましょう! オモシロ動画投稿サイト『ビデオポップ』は 携帯で撮影したオリジナル動画をみんなで投稿しあうサイトです。 投稿したい人と投稿ムービーを見たい人が集まる場所。 しかも、投稿作品にはいろんな人からコメントがもらえるという仕組み。 投稿先として9つのカテゴリ (GIRLS/BOYS/愛しのペット/家族・友達/旅の動画/衝撃の瞬間/おバカ系/癒し・アート/ノンジャンル) があるので、撮った画像はだいたいが投稿できそう。 しかも、カテゴリーごとに毎月面白かった動画を選ぶ部門賞が設定されてます。 賞金1万円!です。 各部門賞の中から最も面白かった1作品が大賞に選ばれます。 こっちは賞金5万円! (大賞作品は部門賞もかねている訳ですから最高6万円の賞金ってことになりますな) たとえば、ごろごろウナウナしてる実家の猫の、 それはもうダメで可愛いモフモフのおなかを撮影すれば、 寝てるときにほっぺたがピクピクっと動く瞬間を撮影すれば、 そして「愛しのペット」か「おバカ系」あたりに投稿すれば、 私も賞金ゲットのチャンスありか!? (……飼い主馬鹿だな……) いや待て。 その前に携帯を買い換えろと(苦笑) PR
隆 慶一郎先生の一夢庵風流記を読み返していたら、ちょいとばかり疑問を生ずる。
前田慶次郎利益の年齢がつかめないのだな。 原 哲夫センセの花の慶次の所為で、若々しい姿しか想像できないのが原因ではあるのですが。 兎も角、前田慶次郎は実在の武将であり、生まれて生きて死んだのは確かなこと。 その生年と没年をちょいと探ってみました。 参考にしたのは傾奇御免さま・網上空論(前田慶次の年表)・統合戦争辞典・Wikipediaなど。 結論から言うと、前田慶次郎は年齢不詳と(苦笑)。 まず生年からして 1533年、1540年、1541年、1542年、1543年、1552年、1555年 と、諸説あるのがややこしい。 33年説と55年説なんざ、20年の上も違っている。 さらに没年も 1605年、1612年 と諸説あったりして。 1533年生まれ1605年没説は、加賀藩前田家の史料によるもので、 「65年に72歳で死亡」という記述から生年を逆算したものらしい。 ただ、これだと叔父である前田”犬千代”利家(1537年生。36年説もあり)より 年長になるんですが。 ちょいと試算してみましょう。 1567年に「荒子の城のこと」があったときには 33年生まれ説だと34歳って勘定になる。 40年生説だと27歳 41年生説だと26歳 42年生説だと25歳 43年生説だと24歳 52年生説だと15歳 55年生説だと12歳 このことにより、父・利久とともに荒子城から出る。 「米澤人國記」によると、 1567年~1582年まで京都にいて、公家文人と交わりを持った となっている。 ところが、伊勢の熱田神宮には 『1582年に「荒子の住人前田慶二郎」が奉納した太刀』があったりする。 しばらく前田家からは離れていたが、 1580年頃、能登を得た利家を頼って、旗下に加わります。 利家と利久は少なくとも表面上は和解していたらしく 利久は利家が不在の時の金沢城代をつとめたり。 1585年に前田家が阿尾城を佐々成政と争ったとき、 阿尾城城代に任ぜられています。 この頃の年齢を勘定してみましょう。 33年生説→52歳 40年生説→45歳 41年生説→44歳 42年生説→43歳 43年生説→42歳 52年生説→33歳 55年生説→30歳 養父・利久の没年は1587年説と1583年がありますが、 慶次郎が阿尾の戦いで利家の家臣として素直に働いていたことと、 1590年の小田原の役(小田原征伐)には利家に従軍していること、 前田家から出奔したのが1590年以降というのを併せて考えると 87年説をとりたいところ。 で年齢換算。 養父が没したときの年齢は 33年生説→54歳 40年生説→47歳 41年生説→46歳 42年生説→45歳 43年生説→44歳 52年生説→35歳 55年生説→32歳 直江兼嗣と親交を結び、穀蔵院飄戸斎名義で 上杉景勝に仕えることになったのが1598年。 33年生説→65歳 40年生説→58歳 41年生説→57歳 42年生説→56歳 43年生説→55歳 52年生説→46歳 55年生説→43歳 この翌年、義理の叔父・利家没(享年60とも61とも)。 五騎三百兵で上杉軍の殿軍をつとめた 「長谷堂城の戦い」があったのは1600年。 33年生説→67歳 40年生説→60歳 41年生説→59歳 42年生説→58歳 43年生説→57歳 52年生説→48歳 55年生説→45歳 40年代以前の生まれだという説が正しいとするなら、 還暦(下手すると古稀に近い)の老将が、皆朱の槍をぶん回して 敵陣に突っ込んで、当たるを幸いにむちゃくちゃに切りまくって、 ついには大軍を壊走させたということになる! (いや、中華の国にも老黄忠という恐ろしい人がいたぞ。 あながちあり得なくはない……) で、上杉の移封に従って米沢に移る際に「前田慶次道中日記」を書いたのが1601年。 そのまま米沢に暮らした説をとると、没年は1612年。 京に戻った、または義理の従弟の加賀藩主・前田利長の命で 金沢に呼び戻された説だと1605年没ということになりまして。 1605年に死亡説ですと、それぞれ享年は 33年生説→72歳 40年生説→65歳 41年生説→64歳 42年生説→63歳 43年生説→62歳 52年生説→53歳 55年生説→50歳 といった具合。 1612年死亡説ですと、 33年生説→79歳 40年生説→72歳 41年生説→71歳 42年生説→70歳 43年生説→69歳 52年生説→60歳 55年生説→57歳 ということになります。 いえ、それだけのハナシなのですが。 戦国BASARA2の海外版DevilKingsのWebページを見た。
ウチの殿、サソリ(スコーピオ)ですか。 つーか、お館様はレッドミノタウロスですか。 こうして六文銭の紋所が世界の人々に誤解されてゆくのね(笑) クレール 光の伝説 エピソードいにしえの【世界】 25回をアップ。
女性向け同人ダウンロードサイト「はなまる.net」さんが DLsite.comさんと合併したので、 はなまるさんでダウンロードさせていただいていたソフト3本が 「DLsiteはなまる」扱いに変わりました。 リンク先は新しいURLです。 ……年齢認証の出るのもあるかもしれませんが、 システムの都合によるものだと思います。 この中には、いわゆるアダルト作品はないです(苦笑) デジタルノベル「劉 総集編」 デジタルノベル「クレール光の伝説迷走の【ハングドマン】」 「クレール光の伝説 魅惑の【剣の女王(クイーンオブソード】)」 まあ、銀の字の書く物は、どこで扱っていただいても 売れたためしがないのですが(笑) Amazon.co.jpで洋書のクリップアート集を何作か見ておりましたら、
表紙に「Permission free」と記されているものと、「Royalty free」と記されているもの、それから「Copyright free」のがありました。 Art Nouveau Frames and Borders Decorative Corners Copyright freeは「著作権のない(著作権の消失した)もの」という意味でしょう。 つまり、誰でも自由に使えるものである、と。 さて残りですが、 前者は「使用許諾不要」、後者は「使用料不要」と訳せるのですが……。 この二つの違いは何でしょう??? 小市民だ。どちらかというと貧乏人だ。
明日のご飯のために毎日必死に働いている。 そして、今日のご飯は何とか食べられている。 それが今の自分。 「百万円寄付しなさい」って言われたら、絶対尻込みするだろう。 「百回クリックしなさい」って言われたら、何とかなりそうだ。 レジ前で財布ごと募金してくれ頼まれたら逃げ出すに違いない。 ポイントを寄付に回してほしいと頼まれたら、応じられる。 そういう方法がある。 イーココロ! これだと、実際に資金を出すのは協賛する企業であって、実際に自分が寄付をする訳じゃない。 だからそれがほんとに「慈善活動」といえるかと問う人もいるだろう。 何もなさぬより、何かしら行動することが大事だ と答えるよりほかない。 汝ら見られんために己が義を人の前にて行はぬやうに心せよ。然らずば、天にいます汝らの父より報を得じ。 さらば施濟をなすとき、僞善者が人に崇められんとて會堂や街にて爲すごとく、己が前にラッパを鳴すな。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり。 汝は施濟をなすとき、右の手のなすことを左の手に知らすな。 是はその施濟の隱れん爲なり。さらば隱れたるに見たまふ汝の父は報い給はん。 馬太傳 第六章第1-4節 マウスの動きを左手に知られないくらいに 自然にクリックできればいい。 それで「助かる人」は、もしかしたら自分自身かもしれない。
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